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フェンシング世界ベテラン選手権に行ってきました

World Veteran Fencing Championships 参戦記録+諸々

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2015/08/30 AMC三日目 

三日目です。
私の試合はもうありません。
今回、大半の方は観光にはいかなかったようです。
初日、空港からホテルまで「マニラの大渋滞」を目の当たりにし、観光する気が失せたという方もいました。東南アジアの都市の中でも、飛び抜けて治安が悪いという話もあります。観光したいところもないという方もいました。
私はせっかく海外で試合をしたなら、その土地をもっと知るべきと思っています。
同室の選手も基本的には同じ考えでした。同行します。
9時過ぎにホテルのフロントでタクシーを呼んでもらいます。マニラ最大の観光スポットであり、第二次大戦末期、マニラの戦いの激戦地でもあるインストラムロスに向かいます。
乗って少し経ってから運転手がメーターを倒していないことに気がつきます。
「インストラムロスまでどのくらいかかる?」と聞くと「30分から1時間」と答えます。
「で、料金はいくら?」と聞くと「700ペソ」と答えます。
同乗者に私の質問の意図がわかったようです。同乗者はストレートに「メータ倒せ」と言います。
運転手は「600」と言います。同乗者は日本語で「ダメダメ」と言います。運転手は「500」と言います。大雑把に言って1500円程度です。「まあ、いいか」となります。
日曜なので平日ほどの渋滞はありません。
1時間弱でインストラムロスにつきます。

サンチャゴ要塞、マニラ大聖堂、サン・アグスチン教会それと街中に残る戦争の傷跡を見て歩きます。教会は日曜のミサが行わており、観光客の入場は制限されていました。


マニラは第二次対戦で廃墟になっています。その時に多くの人命と多くの文化財が失われています。インストラムロスの中ではサン・アグスチン教会以外のすべての建物が破壊されました。
マニラに観光資源が少ないのはそういった事情があります。
そのため、マニラ最大の観光地インストラムロスもとりあえず一通り見て回るだけなら、それほど時間は掛かりません。
インストラムロスを抜け、リサール公園に行きます。

天気がよかったこともあり、気持ちの良い公園です。とは言え、普通の公園です。
マニラ湾を見て、試合会場に戻ることにしました。
マニラ湾の夕日は「世界3大夕日」のひとつと言われています。今回、夕日を見る機会はありませんでしたが、とりあえず、マニラ湾は見て帰ることにしました。
ロハス通リを抜け、アメリカ大使館の前を過ぎて、遊歩道に入ります。
マニラ湾が見えてきます。そして異臭も・・。大量のゴミが浮いています。

これで観光は十分です。この時点で13時少し前です。

近くに「ダイヤモンドホテル マニラ」が見えます。かつて日本の首相数名も泊まったホテルです。「マニラ湾の眺望が目前に広がる絶好の立地」らしいです。確かにこのホテルまでくると異臭はしません。
流しのタクシーを拾う気はなかったので、「ダイヤモンドホテル マニラ」でタクシーを呼んでもらうことにしました。ホテルに入るには金属探知機のゲートをくぐり、ボディチェックを受けます。警備のための大きな犬もいます。若干、場違いな感じもありますが、とりあえず中に入り、タクシーを呼んでもらいます。行き先の試合会場はPhil sportで通じました。
こちらのホテルでは、トラブルを避けるためにタクシースリップを書いてくれます。

運転手もメータをすぐに倒します。試合会場まで13.27Km、50分。チップ込みで220ペソ、14時に試合会場に着きました。行きの500ペソはやはり払い過ぎでした。
試合会場では女子エペ団体と男子サーブル団体が始まろうとしていました。



2015/08/29 AMC二日目 2

8/29、午後に男子エペ団体戦が始まります。
今回の団体戦のレギュレーションは「チームメンバの中で若い3人の合計年齢135歳以上(女子は120歳以上)」です。平均年齢45歳でチームを組むことができます。今回のTeamJapan男子は45歳以下の参加者は1名だけです。今回のTeamJapanは大半が50代以上で他国の40代中心のチームと戦うことになります。ちょっとキツいレギュレーションです。

1回戦イランとの対戦は私の試合から始まります。相手は40代の選手です。
こっちが出て行くと相手はにエンドライン近くまで下がります。
押し出しできそうな感じですが、エンドラインぎりぎりのところに留まっています。
相手ベンチも大声を出します。当然、後ろがないと言っていると思われます。
相手のエンドラインに張り付いたまま、膠着しています。
審判がノンコンバットビリティを告げます。
0対0で終わります。相手も不満そうです。不満ならお前ももう少しなんかしてこいよ。と思いながら交代します。
イランには40代になったばかりの元ナショナルチームメンバの強い選手がいます。
その選手との対戦を含めて第2試合から第4試合までは私以外の2人がイランと対等に戦います。
私以外の2選手で15対14、1点差で私に廻ってきます。
次の相手は前日、私が勝っている選手です。
ここで試合を壊してしまいました。
展開自体は前日と変わりません。相手が仕掛けてきて、私がパラッドリポスト、さらに相手がルミーズを残そうとするという展開です。
パラッドはできます。パラッドまでは私の勝ちパターンです。
でもリポステが決まりません。相手のルミーズが決まります。
相手のリポステされた後の踏み込みが前日より早く大きいです。
相手は戦略や戦術を変えてきたわけではありません。でも前日と同じタイミングで
決めることができません。結局、相手に6本取られ、私は1本のみ。
相手は団体戦のほうが気持ちが入るようです。完敗でした。
その後、点差は縮まらず、最後の試合は私とイラン最強の選手です。
この試合も1本しか取れずに簡単に負けてしまいます。
スコアは45-23、完敗です。このあと、イランチームはJapan-Aにも勝ち、優勝します。
結局、私のアジアンマスターズは目標に到達できずに終わりました。



2015/08/29 AMC二日目 1

アジアンマスターズからかなり日数が経ってしまいました。
前回更新時からも1週間以上、あけてしまいました。
なかなか更新できない理由は、世界ベテランの準備に時間が掛かっていたからです。
繰り上がりなので最初から準備は出遅れ。交通機関とホテルの手配が一昨日、やっと完了しました。ですが、現地で手間取らないよういろいろ調べることが残っています。練習もしないと・・・。

というわけで、マニラのネタは落ち着いたら再整理します。
とりあえず、2日目、3日目を駆け足で。

2日目、私の試合はエペ団体、午後からです。
前日は9時からの試合でしたので、朝食はかなり軽めに済ませました。
前日、少しだけで我慢したコンビーフをこの日はがっつり食べていくつもりです。
でも、ありません。朝食ブッフェの内容は前日とほぼ一緒ですが、一部、入れ替えがあるようです。前日はそこそこ美味いと思ったのですが、飽きやすい味なのかこの日はイマイチと感じます。

10時過ぎに会場に向かいます。送迎を待っていると、中国系と思われる人が挨拶してきます。すぐには誰かわかりませんでしたが、シンガポールのジャージを着ていることに気がつきます。それで昨日、対戦したシンガポール選手と気がつきました。中途半端な時間ですので送迎のワゴン車には私ともうひとりの日本選手とシンガポール選手の3人です。シンガポール男子選手は2名のみの参加で団体には出ることができないとのことです。女子サーブル選手のサポートのため、会場に行くとのことでした。もうひとりの日本選手が「11月に東京で日本ベテランがあるから来てください」と言うと「俺は今、上海に住んでいる。上海と東京はすぐだから必ず行くよ。詳細教えろ・・。」と嬉しそうに言います。私も上海と東京が遠いとは思いませんが、「上海でベテランの試合があるよ。」と言われても同じ反応はしないよな・・・と思っているうちに会場に着きます。この日は土曜日です。前日ほどの渋滞はありません。

会場につくと、ジャージ姿の私に、フルーレの装備をした台湾選手が「今日は出ないの?」と聞いてきます。「エペしかやらないから。」と答えます。

男子エペ団体の組み合わせが張り出されます。日本からは2チームです。
Japan-Aは第一シード、ベスト4トーナメントからですので最初からメダル確定です。
私のJapan-Bはイランとメダル掛けの試合です。

イランチームは試合開始の30分くらい前に会場に現れます。この試合期間、会場入り等では日本チームがいつも出足が早く、イランチームはいつもゆっくりです。
昨日対戦したイラン選手に声を掛けます。彼も出るそうです。
この時点では、勝てると思っていました・・・。




2015/08/28 AMC初日 4

トーナメントが始まります。
予選プール全勝の選手はいません。
13人中9位の選手までが勝率5割以上です。

私は予選8位で9位の選手と対戦です。
9位の選手は予選初戦で当たったフィリピンの選手です。

序盤、予選と同じような展開で2-1とリードします。
予選では逆転負けでしたので、ここで展開を変えます。
肩口にまっすぐフレッシュします。この選手に対し、初めて私から仕掛けます。
決まりました。すぐにもう一度、同じ攻撃をします。今度はドゥーブルです。
パラッドリポステはしない選手のようです。
このまま、突っ込んでいくだけで勝てると確信します。
相手が修正する前に勝負をつけます。
10-5で第一ラウンドの内に終わります。後半の相手の得点はすべてドゥーブルでした。
予選と違う展開に相手は不満そうな顔で握手をします。

これでベスト8、3位決定戦がないので次がメダル掛けの試合になります。


予選で負けた台湾の選手が次の相手です。
台湾選手はトーナメント表を見ています。
「次は私が相手だよ」と声を掛けます。
「あれ、フィリピン選手とじゃないの?もう終わったの。」
「勝ったよ。」
と短い会話を交わします。
相手のほうが実力は上です。
時間を使って、終盤まで大きく離されないようにして最後に勝負を掛けようと思います。
試合が始まります。
最初の1分半くらいは、五分でしたが、第一ラウンド終了時点で5-3
その後も追いつくことなく10-7で負けました。
メダルには手が届きませんでした。
最終結果は6位。他の日本人選手が2位に入りました。
1位は香港のオリンピアン
3位は私と戦った台湾のオリンピアンと予選で私をボコったシンガポールの選手でした。
午後は他のカテゴリの日本選手の応援です。でも皆さんの成績はよくわかっていません。
13時過ぎに突然、大雨が降ります。
マニラは雨季です。
毎日、2時間程度、大雨が降りました。
14時半にTシャツ屋が出てきます。
1枚350ペソ・・千円程度です。




2015/08/28 AMC初日 3

私の対戦記録の続きです。
プール4戦目はシンガポールの選手です。
5-0で簡単に負けてしまいました。
相手がどのくらい強かったかと言うと・・・正直よくわかりません。
結果的にはこのシンガポール選手は3位、プールでは5勝1敗です。
ですが、私との対戦以外は勝った試合はすべて5-4、負けた相手とも4-5です。
彼が負けた相手は私の初戦の相手のフィリピンの選手です。
結果的にこのフィリピンの選手も3勝3負、プールの全員、実力差はそれほどありません。
では、なぜ私はボロ負けしたのか・・・・
このシンガポールの選手・・・速かったです。
ここまでの3選手は、世界ベテラン予選で戦った日本の国内の同世代の皆さんより、
動作が遅かったです。ですがこの選手は、国内同世代の皆さんより速かったです。
チェンジアップの後の剛速球って感じで、ついて行けませんでした。
試合終了時に「50代と思えない速さですね。ついて行けませんでした。」と
声をかけます。嬉しそうに微笑みました。5-0は悔しかったですが、
この試合はアジアでのベテラン世代の初めてのエリアチャンピオンシップです。
私自身も対戦相手も、次もまた戦いたいと思える様に、来年も参加したいと思えるように
勝者を讃えます。でも、次に会ったら・・・絶対、勝ちます。
私のここまでの対戦成績は2勝2敗です。
今大会の最低限の目標はベスト4。3位決定戦はないのでベスト4でメダル獲得です。
勝率5割では、目標達成に遠く、後2戦なんとか勝ちたいです。
相手は台湾選手です。
この選手、美しいフェンシングをします。教科書から出てきたようなフォームです。
強いです。
前半は私のコントルも決まりましたが、後半は見切られました。
5-3で負けます。
握手をしながら一言、讃えます。
「アタックのタイミングいいねぇ。」みたいなことを言ったような気がします。
彼がソウルオリンピックのオリンピアンと知るのは、
この日の夜、トーナメントで再び戦った後の9時間後、ホテルのバーでのことです。
プール最終戦はフィリピンの選手です。
相手はここま3勝2敗。負けた相手は私も負けた香港&台湾選手で、いずれも5-4負けです。
私の初戦の相手のフィリピン選手には5-1で楽勝しています。
弱い相手ではありません。
お互いプール最後の試合で慎重になり、1-1でタイムアップになります。
プライオリティは相手が取りました。
ですが、相手が出てきます。なぜか・・・外小手が空いています。
まっすぐ伸ばします。突きました。勝ちました。
ややラッキーな感じで、プールが終わります。3勝3敗、まったく満足はできません。
でもアジアの50’sの中で「戦える」「勝負になる」「メダルまでもう少し」という実感はあります。

2015/08/28 AMC初日 2

私の対戦記録です。
自分のためだけに書いています。
多分、読んで頂いても面白くないと思います・・・・・・。
初戦は地元フィリピンの選手と対戦です。
私より縦にも横にも大きいですが、足を止めて戦うタイプで圧迫感はありません。
開始1分弱でまず相手のアタックが決まります。不用意に1本取られてしまったという感じです。
次に私のコントルが決まり1対1
さらにもう1本コントルが決まり2対1
それから相手のアタックで2対2
その後、私のコントルが続けて決まり4対2
勝てます。もう相手のアタックは見切りました。
と、思ったら、ポイントが定まらず、2本取られ4対4に。
その後、ドゥーブルをはさんで、最後に相手のアタックが
入ってしまいます。4対5逆転負けです。
4ポイント取った後、雑になってしまい、勝てる相手に負けてしまいました。
この試合、相手の得点はアタックサンプルデレクト5本
私の得点はすべて手首から上腕へのストップヒットです。
なんの芸もなく、嫌な感じで負けてしまいました。
次は香港の選手です。
私より10cm程度、背が高くアスリート体型です。この選手も足を止めて戦う選手で圧迫感はありません。
1分強、0-0のまま、焦れた感じのフレッシュをしてきます。コントルが決まりました。
その後、相手のアタックが決まり、1-1
開始2分近くで、私の上腕へのアタックサンプルが決まります。この日、初めてアタックでの得点です。
残り1分を切って、相手が焦り出しました。無理なアタックを仕掛けてきます。
コントル2本の後、ドゥーブル。5-2で勝ちです。
とりあえず、1勝はできました。
続いてイランの選手です。
この選手も縦にも横にも私より大きいです。
ここまでの2選手に比べると前に出てきます。
ちょうどパレカルトを出したい位置に剣が伸びてきます。
1本目は相手のアタックにパレカルト-リポステが決まらず、再度、パレカルト、
それも決まらず、さらに相手は出てきます。今後はオクターブからリマンで相手の剣を
捉えます。決まりました。まずは先制です。
相手はまだまだ出てきます。もっぱら相手がアタック、私はパレリポステとコントルで応戦です。
その後、一進一退、3-2で残り20秒を切ります。相手が突っ込んできました。
狙い通りのパレカルト・・・相手の剣をしっかり捕らえました。
でも、巨体がまだ突っ込んできます。
リポステを返せず、ルミーズを決められてしまいます。
同時にバランスを崩してフロアーに腰を付きます。
3対3です。
残りは10秒程度です。相手はまだ突っ込んできます。
残り1秒でコントルだったかリポステだったか覚えていません。
でも私がポイントを取りました。4対3、辛うじて勝ちました。
握手をした後、しきりに大丈夫かと聞いてきます。
最初なにを言っているのかわかりませんでしたが、
3対3になったとき、私を倒してしまったと気にしているようです。
大丈夫だと言っても、心配そうな素振りを続けます。
イラン人のイメージが変わりました。
この大会に出て良かったと思った瞬間のひとつです。

2015/08/28 AMC初日 1

Asian Masters Championships初日です。
午前は男子エペと女子フルーレ、
午後に男子サーブルと女子エペです。
50代男子エペは前日に「14名で7名プールがふたつ」と発表がありました。
当日、現地フィリピンの選手がひとり棄権で13名になります。
6名プールと7名プール各1になりました。プールは順位決めで全員トーナメントにあがります。
参加者の内訳は
フィリピン  3
香港     2
シンガポール 2
台湾     1
インドネシア 1
イラン    1
日本     3
です。
フィリピンの3人の内のひとりはフィリピン在住の日本人です。
私のプールは7人のほうで、相手は
フィリピン 2、台湾、イラン、シンガポール、香港、各1です。
もう1つのプールに
日本2、フィリピン(在住の日本人)、インドネシア、シンガポール、香港、各1です。
私のプールのほうが、国際試合らしいプールです。
この日は他種目に気が回らず、他種目の参加人数等は押さえていません。
ただ、50代男子エペが最も人数が多かったと聞きました。
私は7人プールの7番目。プール戦の間は主審からは「seven」と呼ばれることになります。
最初の試合はプール内4番目の試合です。
残念ながらAsian Masters Opning Matchは他国の選手に取られてしまいました。
ともあれ、事前には5カ国延べ90人のエントリーと聞いていましたが、
それ以上の国から参加があるようです。

私は主審から見て左のベンチに座ります。台湾選手が先にいました。軽く挨拶を交わします。
フィリピンの選手のひとりも最初、こちらにきました。タガログ語で挨拶をしましたがシカトされました。その後、私と台湾選手と逆のベンチを見比べて、逆のベンチに行きます。
ベンチは2対5に分かれて、試合が始まります。

隣のピスト、私の後ろのベンチには、フィリピンから参加の1名を含めて日本人3人が座っています。

2015/8/27マニラ初日2

飛行機はほぼ定刻にマニラに着きました。
手荷物受取所に向かうエスカレータを降りると
「1st Asian Masters fencing Championships」と書かれたカードを
持っている女性がいます。
「Team Japan・・・・・」と声をかけると「Welcome to Philippines.」と
言いながら、首飾りを掛けてくれます。
ホテルへの送迎バスに14時20分くらいに乗り込みます。
送迎バスは、話に聞くメトロマニラの渋滞の中に飲み込まれます。
ホテルまでは約13Kmです。
帰りの8/31(月)はフィリピンの祭日のため、渋滞はほとんどなく30分掛からずに
ホテルから空港まで着きました。
ですが、この日は空港からホテルまで70分弱かかったかと思います。
ホテルに着くと大会スタッフから、「武器検査会場行きの送迎が16時に出るとのこと。
但し、それで武器検査に行くと、19時からマネージャ会議に間に合わないので
マネージャ会議に出る人は、武器検査を明日にするように。明日の試合開始時間は
マネージャ会議で決める。」との説明がありました。
武器検査対象は「全部」とのこと。
ホテルの部屋で慌ただしく、バックから剣、マスク、スーツ上下、プロテクター、ボディワイヤー、グローブ以外を
取り出し、再びロビーに戻ります。
フルーレ・サーブルのメタルジャケットやビブのチェックは普通に行われていました。
日本選手の中にも、サーブルマスクNGとなった方がいました。
この方は試合時間の被らない女子選手のマスクを借りて試合に参加されました。
(現地のフェンシングショップの出店もありました。)
エペはマスク、スーツ、プロテクター、グローブは目視のみ。
問題なければ「MASTERS」と書かれた青インクの大きなスタンプが押されます。
剣は750gとゲージのチェック、ワイヤーは断線のないことの確認のみでした。
剣のガード裏にはシールが貼られ、ワイヤーには結束バンドが巻かれます。
ですが・・・・翌日以降の試合では、剣のシールは一度も確認されることもなく、
プロテクターは着用すら確認されませんでした。
ともあれ、武器検査は無事終了です。
武器検査への行き帰りも、メトロマニラのトラフィック事情を十分体感したため、
出歩く気もなく、ホテルに隣接したショッピングモールのなかのレストランで
食事を取ります。食事から戻るとホテルのロビーに
日本チームのマネージャをして頂いている選手がいらっしゃいます。
どうやら大先輩を待たせてしまったようです。
明日の試合開始は9時、最初の送迎は7時半、その後、30分ごとにホテル発とお聞きし、
参加費等を支払って、マニラ初日は終わります。

        
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